PORSCHE
信沢 保の
PORSCHE 特集
のページ

特集では、メインのページだけでは紹介しきれないことを、解説していきます。


2005/7月号
ふたりは友達?ポルシェ&ワーゲン


 自動車業界では多くの会社統廃合が行われてきたが、ポルシェに関してはそういった重大な合併はあまり聞かない。しかしそんなポルシェと切っても切れない関係にあるのが、同じくドイツのフォルクスワーゲンである。今回は誕生から現在に至るまでのポルシェとワーゲンの関係について触れたいと思う。

ワーゲンの誕生
 フォルクスワーゲン(いわゆるビートル)の祖先とされのはツェンダップ社の依頼で作られたタイプ12と言われている。ポルシェ自動車設計事務所(略称)はその開発番号を7から始めているので、まだ6番目の試作車だったことになる。ツェンダップ側の要望で、水冷星型5気筒というユニークなエンジンが載せられたが、同社の都合により生産に入る前に没となってしまった。それが1932年頃のことだが、1934年にはNSU社の依頼によって、空冷水平対向4気筒エンジンをリアに置くという、かなりワーゲンに近いタイプ32という試作車が作られた。しかしまたもやNSUの意向により生産には至らずに終わった。
 大戦前の1934年頃、国民の車という意味のフォルクスワーゲンは、高価な自動車を国民に広めようとするヒトラーの思惑と、フェルディナント・ポルシェの国民車構想が合致したことでようやく生まれた。1934年1月の二人の会見で、ヒトラーはポルシェにゴーサインを出し、自身も自動車愛好家だったヒトラーは以下の条件を出した。
・最高速度100km/h
・燃費は100km/7L→約14.3km/L
・定員は4〜5人
・価格は1000マルク以下
KdF Type60  最初のプロトタイプはセダンのV1とカブリオのV2で、時期的にも近いと思われる。後にビートルとして世界的に有名になるこの車の番号はタイプ60で、この後のプロトタイプや生産型に至るまでビートルは全てタイプ60である。1936年頃だと思われるが、このときに3台のプロトタイプ、V3が作られ、それぞれV3-I、V3-II、V3-IIIと番号をつけられた。この車は重ねられたテストの中で、何度も改良され、寄り目だったライトが最後にはフェンダー上に付くようになったようだ。1936年に、ドイツの自動車メーカーを束ねていたドイツ帝国自動車産業同盟略してRDAによって、このプロトタイプ(V3のことか?)のテストが行われた。当時他のメーカーもそれぞれ自分たちの国民車構想を持っていながら、RDAはヒトラーの命を受けているポルシェに肩入れしなければならず、これを快く思っていなかったが、フォルクスワーゲンに対して問題点を見つけることができなかった。(画像:Vitesse Kdf Wagen VW39(父コレ) 最終的なプロトタイプ)
 こうして国民車計画は進行し、1937年(もしくは36年)初めて30台量産されたプロトタイプW30が完成した。そして1938年頃、実際の生産型とほぼ変わらないボディシェルを持ったVW38が作られ、1938年の5月に生産工場の建設が始まった際にヒトラーは車にKraft durch Freude(歓喜力行)すなわちKdFと名づけた。39年7月までにVW39を50台作るという計画がなされたが、その予定は大幅に遅れることになる。
Volks Wagen 戦中、戦後
 その理由は1939年9月の第二次世界大戦だった。KdFが国民の手に渡ることはなく、工場はKdFベースの軍事車両の生産に移る。戦時中には様々なバリエーションの軍用車が作られた。代表例がタイプ82キューベルワーゲンだった。これは、設計だけされた小型化ビートル・タイプ61をもとに作られたタイプ62をプロトタイプとした軍用車で、多くの亜種も生み出された。タイプ820は4シーター、タイプ821は3シーター、タイプ822、823(戦車風の訓練用装甲車)は2シーター、タイプ825は2シーター・ピックアップ(KdFボディで作ってた?)だった。4駆のキューベル・タイプ87や、キューベルにKdFボディを乗せたタイプ82E、4駆シャーシに載せたタイプ877コマンダーも作られた。1940年のタイプ128(タイプ87ベース)はタイプ138を経て1年後にタイプ166、水陸両用のシュビム・ワーゲンとして量産された。戦争も進むとドイツは石油不足になり、木炭ガスを燃料とするKdF(タイプ230)やキューベル(タイプ239)も作られた。 (画像:Vitesse Type68 KdF Panel Van, Type877 KdF 4DW(父コレ) タン色はコマンダー)
Volks Wagen  その性能は戦争によって発揮されたが、ドイツは敗戦した。その後連合軍によってKdFはフォルクスワーゲンに名前を変え、崩壊した工場から生産が始まった。ビートルのパネルバンなど、戦中に設計されていながら作られなかったモデルもいくつか作られたようだ。パネルバンはタイプ81と言われているが、これは1945年から始まったフォルクスワーゲン・ワークスの番号で、ポルシェの番号とは違う。戦後のフォルクスワーゲンの復興には、イギリスの士官アイヴァン・ハースト少佐の努力があった。彼は戦時中よりキューベル・ワーゲンに強く惹かれ、フォルクスワーゲンの可能性に気付いていた人物だった。1949年にフォルクスワーゲンをタイプ1とするタイプ番号を始め、空冷モデルにその後使われることになる。 (画像:Tomica, Zylmex, Sohbi, Hot Wheels, Majorette, Yatming Beetles(父コレ含む) ワーゲンの平和な世界侵略が始まった)

ポルシェの誕生
 ポルシェという名の車が生まれたのは、第二次世界大戦が終わってからやっとであった。フェルディナント・ポルシェI世に率いられたポルシェ設計事務所は、戦前さまざまなメーカーの自動車を手がけてきたが、戦争によってオーストリアのグミュントという寒い村に疎開しなければならなかった。さらに、フェルディナント・ポルシェはナチスに協力したことでフランスに幽閉されてしまった。すでに事務所で働いていた息子のフェリー・ポルシェは、チシタリア社とグランプリカー(タイプ360)などの設計をする契約を取りつけ、父親を救い出すだけの保釈金を手にいれることができた。 Porsche 356 No.1
 フェリーが戦後チシタリアに訪れたとき、フィアットのコンポーネンツを利用したレーシングカーやスポーツクーペが彼に大きなヒントを与えた。フォルクスワーゲンのコンポーネンツを利用した新しいスポーツカー・タイプ356プロジェクトの始まりである。優れたスポーツカーを作ることはまだ果たしていなかった父の夢でもあった。1947年6月11日にこの計画は始まり、ワーゲンの空冷フラット4エンジンがミッドシップに置かれ、その他のパーツも多くがワーゲンから流用された。エンジンはワーゲンのものから改良されていたが、それは戦前のワーゲンベースのベルリン・ローマ競技用クーペ(タイプ64)で施したチューニングだった。タイプ64自体は、戦争でレースが白紙になったため日の目を見ることはなかった。この第一号車356.001はアルミ合金でできた2シーターのオープン・ボディで、オーストリアのインスブルックのレースでポルシェの初勝利を勝ち取った。(画像:Hongwell Porsche 356 No.1 実際の色はシルバー)
 1948年にはクーペボディの356/2が作られ、ワーゲン同様エンジンがリアに配置された。この2号車から、356は全てリアエンジンで作られることになる。同年8月にはカタログが刷られて本格的な販売に向い始めるが、9月17日にフォルクスワーゲン社と25年に渡る重要な契約(予定では1973年まで)が交わされた。内容は以下の通り。
Porsche 356 A Speedster ・ポルシェ社はVWのパーツを使うことができる。
・ポルシェ社はVWのサービス網を使用することができる。
・VW社はVWを1台生産するごとにポルシェ社にロイヤリティを支払う。
・ポルシェ社はVW社に技術的なアドバイスをする。
・ポルシェ社はVW社と競合する車種を他メーカーのために設計しない。
 1948年1月1日にハインリッヒ・ノルトホフがワーゲン工場の責任者になった後のことで、このときはまだ生産台数が増えだした頃だった。アフター・サービス体制の充実というワーゲンの基本コンセプトはこのあと身を結び、ポルシェにとっても大きなメリットとなった。ポルシェは1950年3月には本拠地のシュツットガルトに戻り、本格的な生産に移った。ポルシェにとってもワーゲンにとっても会社の基礎を築く成長期にあった。(画像:Tomica Porsche 356 Speedster アメリカで人気を得た)

ワーゲンポルシェ
ポルシェ・デザインforフォルクスワーゲン
 フェルディナント・ポルシェI世は、軟禁されていたことがたたって健康を害し、1951年1月30日に亡くなっているが、死の前に多くの人に手に渡って走る356やワーゲンの姿を見ることができたのは彼にとって幸運であった。
Porsche Type 555 deloped for VW in 1953  上記の1948年の取り決めにより、ポルシェはワーゲンのために自動車設計など60近くのプロジェクトを行っていた。その中のいくつかはすでにグミュントで始まっていた。タイプ402という、ビートルよりやや小さい、電気駆動を用いた車もそのうちの一つのようだ。1951年にマクファーソン・ストラットをフロントに付けたモデルが作られているが、ビートルに採用されるのはずっと後のことになった。1952年にはタイプ534というクーペが作られ、翌年にノルトホフに提示するが、生産には至らずに終わっている。1955年に作られたタイプ672も結局失敗に終わっているが、このプロジェクトからいくつかの車が開発されている。さらにはタイプ700という人がたくさん乗る車(?)は1956年から57年の間に模型まで作られたが、これもプロジェクトが終わり、ワーゲンは代わりにタイプ2を保持し続けることにした。 (画像:Porsche Type 555 多くのプロジェクトの中の一つ。この辺のプロトタイプはネットでも画像がないので、洋書に載っていた写真。室内は煙で充満?)
VW Type4 Type4 & 914
 50年代、60年代、ワーゲンはビートルに加えてタイプ2やカルマン・ギアを生産していたが、「ワーゲンはビートルの改良ばかりしている」という声が多く、社長(会長?)ノルトホフは「必要とあればいつでも新型車を送り出せる」としてすでに多くの次期試作車(ポルシェ設計のものなど)を作っていた。それでも、それらのプロジェクトがことごとく打ち砕かれたのは、ノルトホフがそれらをビートル越えた、あるいは匹敵する車だと認めなかったからだった。そして1961年にVW 1500(タイプ3)が登場し、1968年にVW 411(タイプ4)が登場した。この登場の少し前の4月、ワーゲン社を成長させたノルトホフは69歳で病死し、代表者は交代されている。タイプ4はモノコック・ボディやマクファーソン・ストラットのサスペンションが新しい試みであったものの、依然として空冷フラット4をリアに積むというワーゲンの香りを強く残したモデルだった。伸び悩んでいたタイプ3よりも販売は振るわず、現存台数も少ない。 (画像:Siku VW 411(父コレ) このファスト・バックよりもバリアントの方が好評だった)
 これまでワーゲンとポルシェは友好的な協力関係にあったが、その関係を一層強固にしたのがワーゲンポルシェ914だった。ポルシェは高価になった911に対して、356から受け継いだフラット4(さらに言えばワーゲンの)を搭載した廉価版の912を出していたが、この914にその座を譲るため1969年型で生産終了した。
Porsche 914  914は1969年のフランクフルト・ショーでデビューした。ミッドシップ・エンジンの2シーター・オープンという、のちのボクスターと似たようなコンセプトで生まれたが、その結果はボクスターとは大きく違っていた。これは設計はポルシェが行い、基本コンポーネンツにはワーゲンのパーツをできる限り利用するというものだった。エンジンもワーゲンのもので、411E(Eはインジェクション)の空冷フラット4をかなりの部分でオリジナルのまま搭載された。違うのはミッドシップであることにより搭載方向が前後逆になったことである。914/1.7と911のフラット6を積んだ914/6の2種で発売され、前者は1974年に914/1.8へ、後者は高性能だが価格も高く生産性が低かったので1973年にフラット4の914/2.0に入れ替わった。レースバージョンの916や、2台限定という激烈レアな914/8なんかもあった。 (画像:Playart VW-Porsche 914 好きですか?→Yes/No)
Porsche 924 & 928  このような感じで6年間ほど作られたが、セールスの方はあまり芳しくなかった。ポルシェ、ワーゲンで半々の出資によりVW-ポルシェ販売会社も設立されたが、「安いポルシェなのか、高いワーゲンなのか」はっきりしない曖昧な印象を与え、その個性豊かな外観もあって成功することはできなかった。
 76年の924、77年の928などFR車の登場により、914は使命を終えた。76年にアメリカで1年だけ存在した912E(914のエンジン)を最後に、ワーゲンのフラット4を積んだモデルはポルシェから消えることになった。 (画像:Majorette Porsche 924 & Hot Wheels Porsche 928 ポルシェの新しい時代が始まった)
Porsche 914 EA266
 一方、ノルトホフの跡を継いだクルト・ロッツは、ポルシェによるEA266のプロジェクトを推進した。水冷1.6Lのエンジンをミッドシップに積む2ボックス・カーというコンセプトの元、5年の年月と莫大な費用をかけて開発された。それにも関わらず、生産コストと整備性の悪さから、プロジェクトは中止されてしまう。この一件でロッツは退陣し、ルドルフ・ライディングが就任するが、このトップ交替とEA266の計画中止はどちらが先だったのかはいまいち不明。VWディーラーのDUOのページだと、計画の中止→ロッツの退陣という流れになっている。EA266は1969年にプロトタイプが作られているようで、その姿は後のゴルフを連想させるものだった。この頃ワーゲンはK70という、水冷FFという全く新しい車(買収したNSUの車なので)を発売、その後の水冷モデルの原点となった。時代の流れはビートルから新しい世代へと動きつつあった。グーグル画像検索結果「ea266」 (画像:Tomica VW Golf ビートルの後継となったワーゲンの新しい顔)

ワーゲンポルシェ?
 それから長い年月が過ぎた。元々911の次期モデルとして開発された924及び928シリーズだったが、それも長くないと分かると、ポルシェは911の延命にかかり、964、993と発展させていった。しかし1993年頃ポルシェは経営危機に陥っており、生産台数も少なかった。ポルシェを救ったのは、この時新しい社長に就任したヴェンデリン・ヴィーデキングと、1993年にデトロイト・モーターショーでデビューしたボクスターだった。 Porsche Cayenne Turbo
 ボクスターの成功で経営が回復していったあと、全く新しいポルシェ「カイエン(タイプ955)」は2002年の3月に写真が公開され、同年9月のパリ・オートサロンでSとターボの2種がお披露目された。これは番号を名前につけることをやめたポルシェ新時代の象徴的な存在である。新設計のV8をフロントに搭載し、フルタイム4WDで、PASMという新しいシステムが採用された。これは電子制御によって自動的にダンパーや車高を調整するもので、道路状況と速度によって変化する。2004年型からはワーゲン製のV6を積んだベーシックモデルのカイエンが登場した。カイエン・シリーズは高セールスを記録し、ポルシェの業績を過去最高まで押し上げた。 (画像:Siku Porsche Cayenne Turbo その顔ですぐにポルシェだと分かる)
VW Touareg  このカイエンはワーゲンとの共同で開発が行われ、共通シャーシを持ったカイエンの兄弟車トゥアレグも同時に登場した。ワーゲンにとっても初の高級SUVだった。こちらもV6とV8の2種類が用意され、トップモデルではポルシェの半分ほどの価格まで押さえられた。
 カイエンの登場は「初のSUV」だとか「初の完全な4ドア4人乗り」だという点が注目されているが、ボクとしてはワーゲンとの共同開発ということに感慨深いものを感じる。元々同じ人物によって創り出され(356は息子フェリーも大きく関わっていたが)、戦後限られた状況から成長し、今もこうして自動車の大手メーカーとして名を連ねているのだからえらいことだ。これまで方向性が離れていく一方だっただけに、これでまた両社が近づいたようだ。 (画像:Maisto VW Touareg ラリーにも出てる)

 戦前のフォルクスワーゲンのプロトタイプに関しては、書籍でも情報が混乱している。ここで書いたW30は場合によってはVW30と表記される場合もある。本を読むときVW60という表記があったら、それはW30の追加生産分のことでイコールVW38(形式名というより車名)である。VW3という表記もみかけるが、V1〜V3の総称なのか、V3のことなのかはよく分からない。
 356はフェリーの手によって作られたとするような流れの本もあるが、実際には356の設計図は父のフェルディナント・ポルシェによって書かれていたらしい(?)。詳しいことはよく分からないので、あまり学校の友達に言い触らさないように。ポルシェの創造主はフェルディナント・ポルシェとされているので、356プロジェクトのときに息子にアドバイスした程度ではないような気がする。それにタイプ356であるということは、チシタリアのタイプ360・GPカーよりも前、フェルディナント・ポルシェが捕まる前に設計されていないと話が合わない。356の1号車だけがミッドシップ・エンジンで2番目以降の356と違うのは、フェルディナント・ポルシェの設計通りに作ったからかもしれない。

Die VW-Prototypen 1935-38
白黒写真で紹介されているのが、W30。赤いのと青いのはVW博物館が作ったレプリカで、V3およびW30。
Old Type Volkswagen Pictures, VW Rumpler 1921, Firs Prototype Type1 1930, VW Kubel Wagen 1937,
古いワーゲンの写真いくつか。W30とキューベルのプロトタイプ2種など。

type4.org
VWタイプ4のサイト。

Porsche 914 Club Holland
The 914 Fan Web Page
914のサイト。

 今回はこんな感じ。そろそろネタ切れ気味?ミニカー特集もあと数ブランドできるが、マジョレットはまとめるやる気も失せるようなカラバリ&程度だし、トミカも日本人の割にはあまり持ってなかったりする。今号のような特集の方が写真少ないから、色々と楽だったりする。調べる手間が百倍増えるが。
タイトル
レゴの撮影セットに力を入れてみた

Mail to TAMOTSU

過去の特集
HOME