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信沢 保の PORSCHE 特集 のページ |
| ワーゲンポルシェ |
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ポルシェ・デザインforフォルクスワーゲン フェルディナント・ポルシェI世は、軟禁されていたことがたたって健康を害し、1951年1月30日に亡くなっているが、死の前に多くの人に手に渡って走る356やワーゲンの姿を見ることができたのは彼にとって幸運であった。
上記の1948年の取り決めにより、ポルシェはワーゲンのために自動車設計など60近くのプロジェクトを行っていた。その中のいくつかはすでにグミュントで始まっていた。タイプ402という、ビートルよりやや小さい、電気駆動を用いた車もそのうちの一つのようだ。1951年にマクファーソン・ストラットをフロントに付けたモデルが作られているが、ビートルに採用されるのはずっと後のことになった。1952年にはタイプ534というクーペが作られ、翌年にノルトホフに提示するが、生産には至らずに終わっている。1955年に作られたタイプ672も結局失敗に終わっているが、このプロジェクトからいくつかの車が開発されている。さらにはタイプ700という人がたくさん乗る車(?)は1956年から57年の間に模型まで作られたが、これもプロジェクトが終わり、ワーゲンは代わりにタイプ2を保持し続けることにした。
(画像:Porsche Type 555 多くのプロジェクトの中の一つ。この辺のプロトタイプはネットでも画像がないので、洋書に載っていた写真。室内は煙で充満?)
Type4 & 91450年代、60年代、ワーゲンはビートルに加えてタイプ2やカルマン・ギアを生産していたが、「ワーゲンはビートルの改良ばかりしている」という声が多く、社長(会長?)ノルトホフは「必要とあればいつでも新型車を送り出せる」としてすでに多くの次期試作車(ポルシェ設計のものなど)を作っていた。それでも、それらのプロジェクトがことごとく打ち砕かれたのは、ノルトホフがそれらをビートル越えた、あるいは匹敵する車だと認めなかったからだった。そして1961年にVW 1500(タイプ3)が登場し、1968年にVW 411(タイプ4)が登場した。この登場の少し前の4月、ワーゲン社を成長させたノルトホフは69歳で病死し、代表者は交代されている。タイプ4はモノコック・ボディやマクファーソン・ストラットのサスペンションが新しい試みであったものの、依然として空冷フラット4をリアに積むというワーゲンの香りを強く残したモデルだった。伸び悩んでいたタイプ3よりも販売は振るわず、現存台数も少ない。 (画像:Siku VW 411(父コレ) このファスト・バックよりもバリアントの方が好評だった) これまでワーゲンとポルシェは友好的な協力関係にあったが、その関係を一層強固にしたのがワーゲンポルシェ914だった。ポルシェは高価になった911に対して、356から受け継いだフラット4(さらに言えばワーゲンの)を搭載した廉価版の912を出していたが、この914にその座を譲るため1969年型で生産終了した。
914は1969年のフランクフルト・ショーでデビューした。ミッドシップ・エンジンの2シーター・オープンという、のちのボクスターと似たようなコンセプトで生まれたが、その結果はボクスターとは大きく違っていた。これは設計はポルシェが行い、基本コンポーネンツにはワーゲンのパーツをできる限り利用するというものだった。エンジンもワーゲンのもので、411E(Eはインジェクション)の空冷フラット4をかなりの部分でオリジナルのまま搭載された。違うのはミッドシップであることにより搭載方向が前後逆になったことである。914/1.7と911のフラット6を積んだ914/6の2種で発売され、前者は1974年に914/1.8へ、後者は高性能だが価格も高く生産性が低かったので1973年にフラット4の914/2.0に入れ替わった。レースバージョンの916や、2台限定という激烈レアな914/8なんかもあった。
(画像:Playart VW-Porsche 914 好きですか?→Yes/No)
このような感じで6年間ほど作られたが、セールスの方はあまり芳しくなかった。ポルシェ、ワーゲンで半々の出資によりVW-ポルシェ販売会社も設立されたが、「安いポルシェなのか、高いワーゲンなのか」はっきりしない曖昧な印象を与え、その個性豊かな外観もあって成功することはできなかった。76年の924、77年の928などFR車の登場により、914は使命を終えた。76年にアメリカで1年だけ存在した912E(914のエンジン)を最後に、ワーゲンのフラット4を積んだモデルはポルシェから消えることになった。 (画像:Majorette Porsche 924 & Hot Wheels Porsche 928 ポルシェの新しい時代が始まった)
EA266一方、ノルトホフの跡を継いだクルト・ロッツは、ポルシェによるEA266のプロジェクトを推進した。水冷1.6Lのエンジンをミッドシップに積む2ボックス・カーというコンセプトの元、5年の年月と莫大な費用をかけて開発された。それにも関わらず、生産コストと整備性の悪さから、プロジェクトは中止されてしまう。この一件でロッツは退陣し、ルドルフ・ライディングが就任するが、このトップ交替とEA266の計画中止はどちらが先だったのかはいまいち不明。VWディーラーのDUOのページだと、計画の中止→ロッツの退陣という流れになっている。EA266は1969年にプロトタイプが作られているようで、その姿は後のゴルフを連想させるものだった。この頃ワーゲンはK70という、水冷FFという全く新しい車(買収したNSUの車なので)を発売、その後の水冷モデルの原点となった。時代の流れはビートルから新しい世代へと動きつつあった。グーグル画像検索結果「ea266」 (画像:Tomica VW Golf ビートルの後継となったワーゲンの新しい顔) |